コラム

[2011/01/04] 第30回 一握の砂(いちあくのすな)

ビジネスマン 行き交う人々

誰しもが簡単に答えていることが理解できずに、自分の無能さと無力さにがっかりしたり。仕事の質が低下し、思った通りには事が進まずに行き詰まる。この問題には、どのように対処すれば良いのだろうかと、思い悩む。

目の前に積み上げた仕事が少なくなっても、常に心配と不安がつきまとう。何かをいま考えておくべきではないのか、しておくべきではないのか。そして、新たに仕事を見つけ出しては積み上げる。いま何を考え、何をすべきなのだろうか。

秀でるものがない人間はと、寝起きにシャワーを浴びている時、通勤電車に揺られている時、あるいは睡眠から覚醒した夜中や朝方に、自分に対するさまざまな問題や課題を、考える。それでも…時間がもどかしいくらいに、足りない。明日が来なければ、時間が無限ならどんなに良いのにと。だがそれでも明日は、躊躇もせずに日は昇る。白々とした夜明けの気配を感じながら、何も変えられない自分の無力さを痛感する。

「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ、花を買ひ来て、妻としたしむ」

宮沢賢治にも影響を与えたとされる、岩手県出身の歌人石川啄木。1910年 (明治43年) に刊行された、彼の第一歌集「一握の砂(いちあくのすな)」の一首である。子供の頃にはなんて女々しい人なんだろうと感じたこの一首が、なぜかいまになって少し理解できる気がするのは、大人になって年輪を重ねたからなのだろうか。それとも気弱な情けない人間へと、落ちてしまったからなのか。きっと自分の弱さに向き合える覚悟が、やっとできてきたからではないだろうか。

全てのものに確かなものなど何もない、正解は全ての中にある。大切なことはまず目の前にある一つのことを、丁寧にそして大切にすることなのだと、自分を戒める。「成果をあげるための秘訣を一つ挙げるならば、それは集中である。成果をあげる者はもっとも重要なことから始め、しかも一度に一つのことしか行わない。」(P.F.ドラッカー)

「一握の砂」には、無数のうちの一つを表すことから、人間ひとりひとりの存在の意味と、有限な時間の経過の意味が込められている。有限の時間の中を刹那にも等しく生きることが人の生き方なのであり、だからこそこの一瞬を大切に生きることが大切なのだと。 <s.o>


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