Subjectivity brings new value.
第57回主観がもたらす新たな価値

根拠をもとに論理的に正しいと思われる結論を導くことも大切ですが、それ以前に大切なのが、自分の頭で考えた主観的な考えを追求することであると最近実感しています。
どんなものでも主観が存在する
日常のあらゆる場面で、事実に基づく意見(判断や仮説)を求められることがあります。根拠となる事実を示すため、自らデータを収集・整理します。しかし、このデータを整理する過程で、作成者の恣意(しい)が入り込む可能性を否定できません。作為的にデータを抽出したり、自分の意見に沿うようデータを集計してしまう可能性があるのです。事実として示されるデータも、個人の主観により作り変えられます。人から相談を受けたり、アドバイスを求められた時、自分の考えを理路整然と言えるのに、自分自身の問題になると、なぜか考えが浮かばなかったり、迷ったりすることがあります。「失敗したくない」、「苦労したくない」といった私欲や自己保身の心理が優先するからです。とはいえ、行動を伴うような問題では、何らかの判断をしなければなりません。この場合、人の判断は、その人の都合、その人の主観によって決まります。
世間の常識や定説と言われるものでさえ、元をたどれば個人の主観です。自分の外側に向けて発信した個人の考えが、世の中に広まり一般に認められ常識や定説となるのです。どんなものにも主観が存在し、思考の出発点になるのです。
自分の中に価値基準がある
自分の考えを論理的に表現し結果を出せる人は、目標の達成、問題解決に向けた自分なりの仮説を立て、その仮説を検証する場面で、事実やデータに基づき仮説の妥当性を確認します。自分が何を望んでいるのかはっきりしない人は、自分で仮説を立てようとせず、誰かの仮説とその検証結果である答えを一遍に得ようとします。戒めるべきは、自分の外側に価値基準を求めてしまうことです。
自分の中に価値基準がなければ、自分の頭で考えなくなり、他人に何とかして欲しくなります。人の考えばかりを気にして、その考えに合わせようとします。
価値基準を決め、答えを導くのも、結局は自分の主観です。自分の頭で考え、自らの責任で行動し、結果を出す。良くも悪くも結果を出すことで評価されます。評価結果を真摯(しんし)に受け止め、自分の考えや行動を見つめ直すことで、新たな自分の価値が生まれます。[筆者:後藤清志](2013年4月1日)